71歳の今、暮らしを整えることの本当の意味がわかってきました。
特別なことじゃない。
トイレ掃除、玄関掃除、畑に触れる時間、耳かき。
そんな手を動かす所作の中に、
心を生き直すヒントがたしかにあるんです。
そんな習慣の力をまとめた、有料note第2作を投稿しました。
📝 『生き直すための静かな習慣たち』
よろしければ、静かにめくってみてください。
目次
【はじめに】
noteを始めたのは、71歳になってからのことでした。
それまで文章を書くなんて経験もありませんでしたが、 自分と静かに語り合うような時間が、だんだんと愛おしくなってきたのです。
若いころは、目の前のことで精一いっぱいで、 「整える」なんて言葉とは無縁だったように思います。
50代の半ばに、心が沈んでしまった時期がありました。
気がつけば、土をさわっている時間だけが、ほっとできた。
家庭菜園の小さな芽や、土の手ざわりに、 何も言わずとも、寄り添われているような気がしていました。
そんな体験が、 今の僕の暮らしや、「ゆる科学」のはじまりにつながっているのだと思います。
noteを通して書き残してきたことは、 どれも日々の何気ない行動――でも、 気づけば心と身体を整えてくれていたような、そんな“小さな科学”の話です。
誰にも見せるためじゃなく、自分の心をやさしく整えるために。 そうやって続けてきた習慣が、僕を「生き直す力」にしてくれました。
この文章では、そんな「習慣たち」に改めて光をあててみようと思います。
どれも特別なことではありません。
トイレ掃除、玄関掃除、畑、眠ること、耳かき、食べること――
けれど、それらが持つ静かな力を信じて、 今日も僕は、日々の習慣に手をのばしています。
よろしければ、静かにめくってみてください。
【第1章:トイレ掃除 ― 心を整える場所】
特別なきっかけがあったわけではありません。
トイレ掃除を始めたのは、 「お金回りがよくなるらしい」 「運がよくなるらしい」 そんな、どこかで聞いたような話を 半信半疑で信じてみた、ただそれだけのことでした。
けれど、始めてみると、不思議な感覚がありました。 便器のフチについた汚れを、 自分の指の爪でこすり落とす―― その瞬間、ふっと心が軽くなるんです。
「落ちたな」と思った瞬間、 なぜか、僕の中のなにかも落ちていくような気がする。
誰に見せるわけでもなく、 誰に言うでもなく、 ただ、自分のために、自分の心を整える。
そんな時間が、いつの間にか、 僕の生活の一部になっていました。
今では、散歩コースにある八幡様の公衆トイレも、 朝のついでに掃除させてもらっています。 誰にも頼まれていないけれど、 やらずに通り過ぎると、どこか落ち着かない。
身体を動かすことで、心が澄んでいく。 これは、僕にとっての「静かな習慣」の原点かもしれません。
昔の自分だったら、 「そんなことしてどうなるんだ」って言ったかもしれない。 でも、今の僕は、はっきり言えます。
トイレ掃除は、心の掃除です。 続けるうちに、心の奥に風が通るようになりました。
小さな習慣が、大きな力になる。 その最初の一歩は、 一番身近で、一番見落とされやすい場所―― トイレから始まりました。
【第2章:玄関掃除と靴磨き ― 一歩を踏み出す儀式】
玄関を掃除すると、 どういうわけか、気持ちがすっとします。 なにが整ったのか、どこが変わったのか、 はっきりと言葉にできないけれど、 「とにかく、いい気持ち」になるんです。
朝の散歩から戻ったあと、ほうきを手にして玄関の隅から隅まで掃いていくと、 小さな石ころやホコリが、外へ外へと出ていく。
それを見ていると、僕の喉にたまっていた痰が、スッと出ていくような気持ちになります。 玄関だけでなく、自分の中までスッキリしていく感覚。
以前は、大きくほうきを振ってガサガサと掃いていたものです。 でも今は違います。 小さなホコリも見逃さないように、静かに、丁寧に。
まるで、大事な人の肩を撫でるように掃いている自分がいます。
そして、掃除のあとは自然と靴に手が伸びる。 一足ずつ手に取り、ホコリを払い、布で軽く磨く。
ピカピカにするわけではありません。 でも、きれいに汚れが落とされている靴を見ると、心が整うんです。
「この靴で今日も歩くんだ」と思うと、 一日が始まる準備が、身体の奥からできてくる気がします。
若いころは、「靴なんて履ければそれでいい」と思っていたけれど、 今は違います。
靴を整えることは、今日という一日に向けての“儀式”のようなもの。 気持ちがすっと整って、足取りも軽くなります。
玄関掃除と靴磨き―― どちらも、“外に出る前の心の準備”なのかもしれません。
そして今日もまた、 ほうきを手にして石ころを掃き出し、 「さあ、行ってこよう」と、いつもの靴を履く。
それだけで、 生きる方向に、心が少しずつ向いていく。 そんな時間が、僕にはとても大切です。
【第3章:眠ること・食べること ― “回復”の習慣】
若いころは、「寝るのがもったいない」と思っていました。 やることが山ほどあって、 寝る時間を削るのが、努力の証のように感じていた時期もありました。
でも、あの頃の自分は、いつも疲れていました。 朝がつらくて、頭が重く、気分が晴れない。 人に対しても、とげのある言葉をぶつけてしまう。
「なんでこんなに機嫌が悪いんだろう」と、自分でも思うほどでした。
今は違います。 眠ることは、“なにもしない時間”ではない。 むしろ、心と身体を整える“再生の時間”だとようやくわかってきました。
よく眠れた朝は、それだけで世界がちがって見えます。 朝の光がやわらかく感じられ、 ごはんの湯気が、どこか懐かしく見えてくる。
そんな日は、家族にかける声も自然とやさしくなる。
眠ることは、今日を整えるだけでなく、明日を生き直す準備なんですね。
だから僕は、夜、布団に入るとき、 自然と手を合わせるようになりました。 「今日もありがとう」と、そっと心の中で唱える。 それだけで、一日がまあるく収まるような気がします。
そして、もうひとつ。 食べることもまた、大切な“回復の習慣”です。
若いころは、ただ口に入れるだけ。 味わう余裕なんてなく、 食べるというより、流し込むようにして過ごしていました。
でも今では、違います。
「これは誰がつくったんだろう」 「どこからやってきたんだろう」 そんなふうに、食べ物の背景にある人や物語を思うようになりました。
自然と手を合わせるようになった。 「いただきます」と、心から言えるようになった。 命をいただくという実感が、ようやくわいてきたんです。
食べることは、生きること。 食べることは、次の日へのエネルギーをもらうこと。
眠ることと食べること―― それは、どちらも“自分をととのえる”ための静かな習慣。 目立たないけれど、 このふたつが整うと、人生はしっかり動き出す気がするのです。
【第4章:畑と土 ― 生き物とつながる手ざわり】
僕は、土に触れるのが本当に好きなんだと思います。 どんなに暑くても、どんなに地味な作業でも、 気がつけば、黙々と土とタワムレている自分がいます。
作ることが好き。育てることが好き。 そして、何よりも、土に触れていると落ち着く。
種をまいて、芽が出て、 葉が広がっていく姿を見ていると、 「生きるって、こういうことだなあ」と しみじみ思うのです。
草を抜いたり、虫を取ったり、 土寄せをしたり、追肥をしたり―― 地味な作業の繰り返しの中に、 自分の心が整っていく時間があります。
なかでも、嬉しいのは、 近所のおじさんやおばさんが 「これ、美味しかったよ」って言ってくれる瞬間です。
ただそれだけで、心がホッコホコになる。 「やっててよかったなあ」と、心から思う。
野菜づくりは、 野菜を育てているようで、
実は、自分自身を育てている時間なのかもしれません。
畑に出ると、風がちがう。 土の匂いが、心をやわらかくする。 芽が出ると、自分の中にも、なにか新しい芽が出るような気がする。
人は、好きなものに出会えたとき、 心から「生きててよかった」と思えるのかもしれません。
好きなものに気づく人生は、なんて素晴らしいんだろう。
そして今日もまた、 僕は土に手を入れ、 静かに、でも確かに、生き直しています。
【第5章:暮らしを整える、小さな所作たち】
「所作」という言葉に、昔はどこか堅苦しさを感じていました。
けれど今では、その言葉がとても静かで、あたたかく、
自分の暮らしにしっくりと馴染んでいるように思えます。
トイレ掃除、玄関掃除、靴磨き、料理、耳かき、書きなぐること。
これらはすべて、僕の“手”から生まれる習慣です。
動きそのものが意味を持ち、そこに心が添えられていく。
手を動かすことで、整うものがある。
それは「気持ち」や「気分」といったあいまいなものだけれど、
その小さな変化が、今日を乗り越えさせてくれる力になるのです。
イライラしたとき、もやもやしたとき、
僕は掃除道具やノートに手を伸ばします。
掃く、拭く、書く――
それだけで、心の中に風が通るような感覚があるんです。
きっと僕の手は、僕の心より先に、整え方を知っていたのでしょう。
耳かきもそうです。
ゆっくりと、やさしく、不要なものを取り除く。
その所作は、まるで心の中のざわつきを、
そっとすくい上げるような静けさがあります。
所作は、暮らしの中にある“祈り”のようなものかもしれません。
誰に見せるでもなく、ただ自分を整える動き。
それを続けているうちに、暮らしが美しくなっていくのです。
花道や茶道のように、きびしい型はなくてもいい。
でも、自分なりの「心を込めた動き」が、ひとつでもあると、
毎日は確実に整っていきます。
整えるのは言葉ではなく、手。
その手が覚えているやさしさこそが、今の僕を支えてくれている。
【最終章:おわりに】
誰に見せるでもなく、
誰に認められるでもなく、
ただ、自分の心を少しずつ整えるために、
僕は今日も、小さな習慣をひとつずつ繰り返しています。
トイレ掃除、玄関掃除、眠ること、食べること。
土をさわり、耳かきをして、
時にはノートに思いのまま書きなぐる。
手を動かすことが、心を動かす。
そんな静かな力を、僕は信じています。
老いは「終わり」じゃありません。
静かに、でも確かに、生き直すための始まりかもしれません。
今日、少しでも前に進めたなら、それでいい。
と、そっと言える自分でいたい。
そう思えるようになった今、
暮らしはますます自由で、やさしいものになってきました。
この文章が、
読んでくださったあなたの“今日を整える力”になれたなら、
それ以上の幸せはありません。![]()
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