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書くことで、気持ちが楽になっていく日もある
──71歳、書くことで生き直す②──
こんにちは、ゆーゆーです。
今さらですが、「書く」という行為って、不思議なものですね。
自分の心の中を言葉にしようとすると、思っていたよりも深いところまで手が届くような気がしてきます。
最初は、「こんなこと書いていいのかな」「誰が読むんやろ」と、戸惑いながら始めたnote。
でも気がつけば、書くこと自体が“心の整理”になっていました。
書くことで、自分に優しくなれる
心がモヤモヤしているとき、
誰かに話すほどでもないような日常のことを、文字にする。
すると、少しだけ自分と向き合えるんです。
ほんの少しだけ、自分に優しくなれる。
自分を責めることが、少し減っていくんですね。
整えるのは、心か、暮らしか
朝起きて、顔を洗い、玄関を掃く。
トイレを磨き、畑に出て、土に触れる。
そんな“当たり前”の暮らしの中で、
自分の内側も少しずつ整っていく気がします。
noteに書く文章も、それに似ているのかもしれません。
日々の気持ちを整えるようにして書くことで、
心の中の「ことば」も、やさしい順番に並んでくれるのです。
僕の言葉は特別じゃない
僕の言葉は、特別じゃありません。
71歳のいま、毎日の暮らしの中で感じたことを、そっと書いているだけ。
でも、もしかしたら。
この言葉が誰かの朝に、少しやさしさを運ぶかもしれない。
眠る前の静かな時間に、ちいさな安心を届けられるかもしれない。
そんなふうに思って、今日もまた書いています。
書けるようになったことが、ひとつの奇跡
書くことで、気持ちが少し軽くなる――
そんな感覚を、若いころは想像もしていませんでした。
でも、いま。
「書ける日が来た」こと自体が、ちょっとした奇跡なのかもしれません。
🌱あとがき
苦しいとき、自分を整理する手段が「書くこと」になる日もある。
そんな実感を込めて、このシリーズを書いています。
自分の言葉が誰かに届いたら嬉しい。
そしてまた、誰かが自分の気持ちを言葉にしてみようと思ってくれたら、
それ以上に嬉しい。
71歳、まだまだ僕の言葉は育ちます。
今日も静かに、生き直しながら、書いていきたいと思います。
📝シリーズ構成予定(仮)
第1話:言葉を届けるという生き方(公開済)
第2話:書くことで、気持ちが楽になっていく日もある(今回)
第3話:ことばと暮らしの距離(予定)
第4話:書き続けるという習慣(予定)
第5話:言葉で支えられる日(予定)
※このエッセイはnoteでも同時
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